80年代アイドル黄金期! アイドルたちの完全実態

松本伊代 ―1965年生まれ

80年代アイドルの筆頭・松本伊代。フリフリのドレスとまばゆい笑顔で世の男子たちの目を釘付けにしました。彼女の魅力はその外面だけでなく、かなり斜め上の天然性だったことは今でも芸能界で活躍していることが証明しています。現在は愛されママタレントとしてバラエティ番組やトークショーに多数出演中。タレントとして活躍する次男・凌央もすでに25歳ですから親子3代で活躍する日がくるかもしれませんね。

岩崎良美 ―1961年生まれ

抜群の歌唱力で人気を博した岩崎良美。同年代のアイドルと比べても少し大人っぽい雰囲気でしたよね。姉の岩崎宏美と姉妹同時に紅白歌合戦にも選出されたのは紅白初の快挙でした。その後も精力的に歌手活動を続けており、セブンズラグビー女子代表の公式応援ソング「My Life」は多くの人の心を元気づけましたね。2020年には歌手活動40周年を迎えた彼女。今でもその歌声は全く衰えていないのには驚かれされます。

堀ちえみ ―1967年生まれ

ハスキーなボイスとセンチメンタルな歌詞の楽曲が人気だった堀ちえみ。大映ドラマでは頑張り屋なのに次々苦労に見舞われる役が大当たりし、一躍国民の人気者になりました。現在はプライベートでは3度の結婚により7人のママになったことで子沢山のビッグママキャラで情報番組などで活躍中。舌癌の大手術を経て芸能界にカムバックした彼女の今後に注目が集まります。

松本明子 ―1966年生まれ

明るく開けっぴろげなキャラクターでバラエティ番組で活躍する松本明子。憎めないキャラクターで皆に愛されている彼女もアイドル時代はなかなか人気がでず、他のアイドルが高校の出席日数が足りないと悩む中、なんと皆勤賞だったというエピソードは有名ですね。現在はコロナ禍の日本を元気付けようと同年代のアイドルたちとイベントやライブコンサートを主催しています。

三田寛子 ―1966年生まれ

ふんわりしたキャラクターとおっとりとした京都弁で清純派アイドルとしてデビューした三田寛子。歌手というよりそのキャラクターを生かし女優、タレントとして活躍しました。サスペンスドラマや青春ドラマの主人公の友達といった話にスパイスを添える役所は彼女ならではです。現在は歌舞伎役者の妻、母という立場で情報番組を中心に活躍中。難しい世界での立ち回りや身の程来し方は参考になります。

早見優 ―1966年生まれ

小麦色の肌がよく似合うハワイ育ちのアイドル・早見優。代表曲も「真夏のSNIPER」や「可愛いサマータイム」など夏をテーマにしたものが多くまたそれがよく似合っていました。1988年頃からはミュージカルに挑戦。特に「オズの魔法使い」のドロシー役、「レ・ミゼラブル」のコゼット役は高い評価を受け、ロングランを記録しています。現在はその英語力を生かし、英会話番組への出演や子供向け教材の開発も行なっています。

磯野貴理子 ―1964年生まれ

先日二度目の離婚を自分のトーク番組で発表した磯野貴理子。その理由はなんとも夫の身勝手な理由でしたが、涙ながらに彼をかばう彼女と、長年番組を一緒にやってきた松居直美、森尾由美が涙を流して彼女を励ます姿は視聴者の共感を呼びました。友達っていいなと思得ますよね。現在はバラエティ番組で活躍中。脳梗塞で倒れたこともあり、健康についての特集でも自身の経験を語っています。

相原勇 ―1967年生まれ

イカ天のMCに抜擢されたことで一躍人気者になった相原勇。その後は尊敬していた榊原郁恵の後を継ぎ、ミュージカルピーターパンの主役を3年連続演じています。元気一杯のショートカットヘアでボクっ娘アイドルの先駆けと言えます。現在はハワイに移住し、旦那様とコーディネイター、ツアーガイドとして現地の魅力を日本人に発信中。情報番組などでその姿を見ることができますが、現役時代と同様元気一杯まだまだ可愛らしいです。

中森明菜 ―1965年生まれ

松田聖子と人気を二分していた中森明菜。今でも当時どちらを応援していたか話題になりますね。中森明菜の方が後輩になりますが、「花の82年組」の中でもずば抜けた人気だったため、そちらのくくりより松田聖子と比べられることが多かったようです。中森明菜はデビュー当初から衣装やメイク、楽曲などセルフプロデュースを行なっており、アーティストとして完成された歌手だったと言えましょう。

山瀬まみ ―1969年生まれ

アイドルでありながら物怖じせず大御所にタメ口を叩くキャラクターが新鮮だった山瀬まみ。ベビーフェイスに似合わないハスキーで高い歌唱力と、高身長故に清純派アイドルとしては大成しませんでしたが、バラエティアイドルとして、テレビ、CMと大活躍しました。現在も多数の番組のアシスタントとして活躍。彼女の出演する番組はどれも長寿番組になることでも有名です。

井森美幸 ―1968年生まれ

未だに現役バラドルとして活躍中の井森美幸。可愛らしさも番組での受け答えも若い頃となんら変わりがありませんね。趣味を生かした競馬番組や野球番組でのコメンテーターとしても定評があります。可愛すぎるアラフィフとしてどの番組に出演しても重宝されているようです。ちょくちょくお一人様ネタで心配されていますが、世の男性陣は美人すぎて手が出せないのかもしれませんね。

森口博子 ―1968年生まれ

元祖バラドルとして、冠番組「夢がMORIMORI」などで一斉を風靡した森口博子。今ではバラドルとしてよりもアニメソング(特にガンダムシリーズ)のミューズとしての方が有名かもしれません。そのほかアニソン特集番組などにもよくコメンテーターとして出演、アニメ愛と博識を披露していますが、嫌味に感じないのはさすがですね。

工藤静香 ―1970年生まれ

『FUJITSU」などのヒットにより、中島みゆきの世界観を表現し、歌姫とも呼ばれるようになった工藤静香。同世代のアイドルたちにはない歌唱力で周りを圧倒しました。とんねるずの「生ダラ」などのバラエティ番組にもレギュラー出演し、そのギャップで一躍人気者に。現在は自身の活動よりもステージママとして娘たちの活動を応援しているようですが、SNSでの発信は常に注目されるなどまだまだ影響力が大きいです。

斉藤由貴 ―1966年生まれ

映画や舞台で活躍する斉藤由貴。恋多き女としても話題になりますが、炎上しないのは彼女のキャラクターとその類稀なる演技力で許されているからでしょうかね?2020年の映画「最初の晩餐」では主人公の母親役を演じ、助演女優賞を受賞したほか作品自体も4部門を受賞するなど歴史に残る映画になりました。またその1年もっとも輝いていた人に贈られる50代部門ベストジュエリードレッサー賞も受賞とまだまだ輝き続けています。

大西結花 ―1968年生まれ

折り鶴のユカとしてブレイクした大西結花。映画「眠れる森の美女」や「クール・ディメンション」などでもその演技力の高さを証明しました。舞台でも活躍し、「ピーターパン」のウェンディ役が彼女の当たり役でしょうか。雰囲気がぴったりですよね。今でもその人気は健在で、2021年には過去の写真集「瞳にスキャンダル」と「FLORE」がデジタル化で復刻したことが話題になっています。

芳本美代子 ―1969年生まれ

八重歯と「みっちょん」の愛称で親しまれた芳本美代子。健康的な溌剌とした可愛らしさで女性からの支持も得ているアイドルでした。女優に転向してからは、若いママさん役を演じることが多く、昼ドラ「ママまっしぐら」は3シリーズも制作される人気シリーズに。やはり同年代の女性からの共感を得ているのですね。現在は女優としてテレビや映画だけでなく、人気劇団に客演したり演出家としても活動中です。

本田美奈子 ―1967年生まれ

革ジャンに黒いレースのミニスカート、ヘソ出しルックとロック調の衣装とパンチのある伸びやかな歌声でブレイクした本田美奈子。サビの部分で腰を降る振り付けも今までのアイドルにはないものでした。2004年白血病にて他界したものの、今でもファンクラブは継続中。ビデオコンサートを行なったり、毎年カレンダーを発売したりと多くの心の中に生きているようです。

佐野量子 ―1968年生まれ

いつまでも少女のような笑顔が魅力の佐野量子。天然とも言われる言動で「俺たち!ひょうきん族」ではナマコ娘と言うアイドルらしからぬキャラクターを演じ一躍人気者に。すでに芸能界を引退して滅多にメディアには登場しませんが、夫武豊の取材に訪れるカメラマンにはピースサインでツーショット撮影に応じるなど当時と変わらぬ天真爛漫さです。

河合その子 ―1965年生まれ

「落ち葉のクレシェンド」などヒット曲を多数輩出した河合その子。おニャン子クラブの中で初のソロデビュー、そして初めての卒業生となるなどグループの代表格として活躍しました。清楚なルックスとちょっと舌足らずな可愛らしさは数いるおニャン子の中でも人気ナンバー1。卒業後はアーティスト路線に転向、作詞作曲を自ら手がけるシンガーソングライターとして活躍しました。1991年に芸能界を引退しています。

岩井由紀子 ―1968年生まれ

明るい妹キャラとして人気を博したゆうゆこと岩井由紀子。姉のことを「ねえね」と呼ぶのが一般的になったのも、彼女が発端だったように思います。おニャン子クラブでは「恋はくえすちょん」など多数の楽曲でメインボーカルを担当。卒業後もゲーム会社とタイアップしたゲームやCMに出演したり、クイズ番組などで彼女の明るいキャラクターを生かし活躍しましたが、結婚を機に芸能界を引退。現在は二人の子供のママになっています。

高井麻巳子 ―1966年生まれ

おニャン子クラブと言えば必ず名前の上がる高井麻巳子。おニャン子クラブ、ユニット「うしろゆびさされ組」、卒業後のソロ活動と実は3年しか活動していません。あっと言うまにトップアイドルになり、そのまま引退してしまったからだとしてもここまで人々の心に残るのはすごいことだと思いませんか?秋元康と結婚し本人がメディアに登場することはないですが、夫や芸能人のSNSなどで名前や写真が登場しています。

吉沢秋絵 ―1968年生まれ

元おニャン子の一員ですが、加入直後からソロデビューで一年ちょっとで卒業してしまい、あまりおニャン子として活動していないにも関わらず、存在感の大きな吉沢秋絵。、おニャン子クラブの人気絶頂期でコンサートチケットもプラチナ化していた時期での華々しい加入だったからかもしれません。その後は女優、タレントとして活動していましたが、結婚を機に引退。その後のおニャン子OGの活動には関わっていません。

新田恵利 ―1968年生まれ

おニャン子クラブの代表格としてトップの人気を誇った新田恵利。ソロデビュー曲「冬のオペラグラス」は大ヒットし、その時のノベルティグッズであるトランプはプレミア化されました。卒業後はおニャン子時代から行なっていた作詞家に転身。のちにエッセイや小説を執筆する文筆家としても活躍しています。現在は母親の介護を中心に、自身の経験を講演したり、80年代アイドルとして当時を語るタレントとして活躍中です。

国生さゆり ―1966年生まれ

しっとりとした大人の魅力溢れる女優・国生さゆり。おニャン子クラブのリーダーとして個性溢れるメンバーを率いてきた姿は、厳しかったという声もよく聞かれます。卒業後は女優に転身。「しゃぼん玉」や「RUN」などの人気ドラマや、サスペンスドラマの常連となりました。バラエティでも毒舌鋭い姉御肌のキャラクターで人気者に。近年ではドラマ「金田一耕助 悪魔の手毬唄」や「ボーダレス」など多数出演中。

立見里歌 ―1965年生まれ

大学のミスコンで優勝したことを機に芸能界入りした立見里歌。オールナイターズを経ておニャン子入りした彼女は、高校生が多いメンバーの中でもお姉さん的立ち位置で、番組の進行などもよくしていました。第三回卒業式でおニャン子を卒業。現在は念願だったオーガニックによる基礎化粧品のプロデュースをしています。復活イベントも頻繁に参加しており、変わらぬ歌声とダンスを披露しています。

樹原亜紀 ―1969年生まれ

夕焼けニャンニャン番組開始時からおニャン子クラブのメンバーとして活動を始めた樹原亜紀。落ち着いた雰囲気ながら、明るいキャラクターで番組内での人気はうなぎ上りに。卒業後はフリーライターとして雑誌に映画やファッションの記事を寄稿。バックパッカーとして旅行中に出会ったご主人と現在はオランダで暮らしています。おニャン子クラブの復活イベントには頻繁に出席しています。

名越美香 ―1966年生まれ

夕焼けニャンニャンの全身であったオールナイトフジの女子高生スペシャルでスカウトされ、おニャン子クラブ入りした名古屋美香。小柄な彼女は後輩たちの面倒もよく慕われていました。第二回卒業式でおニャン子を卒業した後は、女優として活躍、「風雲!たけし城」では腰元役として番組の進行でも活躍しました。現在はおニャン子随一と言われた歌唱力で、シャンソン歌手としても活動しています。

白石麻子 ―1969年生まれ

おニャン子クラブ内でもウケ狙いのユニット「ニャンギラス」には色を添える要員として加わった白石麻子。個性派揃いのメンバーの中では異色の可愛らしさでした。おニャン子の楽曲では「明るい放課後の過ごし方」など中期以降のフロントボーカルを担当。解散と同時に芸能界を引退しており、現在は4人の子供の母親として元気に暮らしています。

渡辺満里奈 ―1970年生まれ

清純派の明るいキャラクターで人気だった元おニャン子クラブ会員番号36番として人気絶大だった渡辺満里奈。自然体で清潔感漂う彼女はオリーブ少女として女子からも人気がありました。台湾の観光大使に選ばれたり、ティラピスをいち早く取り入れたり、オーガニックブームの先駆けとなったり、今でもナチュラルガールたちのお手本です。

生稲晃子 ―1968年生まれ

おニャン子卒業後はレポーター、女優などで活躍する生稲晃子。「明日家族になあれ」などのファミリードラマや、NHK連続小説「ちりとてちん」などにも出演しました。現在は「スイッチ!」や「直撃LIVEグッディ!」など情報番組を中心に活躍中。ご主人が経営している鉄板焼き屋「佐吉」でも時々店頭に立っているようです。

斉藤満喜子 ―1970年生まれ

高校一年生の時にオーディションに合格しておニャン子クラブ入りした斉藤満喜子。「ポップコーン畑でつかまえて」などメインボーカルも担当しました。解散時まで在籍し、後期のおニャン子クラブ人気を支え、ソロとなってからはタレント、女優をメインに活躍。「なるほどザ・ワールド」や「DAISUKI」などレポーター業も順調でしたね。現在は芸能界を引退していますが、その後のおニャン子の再結成には参加していません。

中山忍 ―1973年生まれ

ミステリードラマの新女王として頭角を表した中山忍。あどけなさが残る顔立ちはアイドルとしては人気に恵まれませんでしたが、腐らず演技力を磨いた結果、様々なドラマや映画に出演し、今ではミステリードラマにはなくてはならない存在となりました。2020年には映画「時の行路」に主人公の妻役で出演。現在は「スカッとジャパン」などの再現VTRにもよくよく出演しています。

榊原郁恵 ―1959年生まれ

今も続いているスター発掘オーディション「ホリプロ・スカウトキャラバン」の記念すべき第一回グランプリだった榊原郁恵。ピチピチとした健康的な可愛らしさで同期アイドルでも「フレッシュ三人娘」と呼ばれ人気者になりました。渡辺徹との結婚後は、主婦タレントとして料理番組や雑誌でのエッセイの連載でも活躍。16年も続いた料理番組では、何冊もレシピ本が出版されています。

石川秀美 ―1966年生まれ

元シブガキ隊・やっくんこと薬丸裕英の妻として5人の子供の母親となった石川秀美。共に「花の57年組」とも呼ばれる華やかなアイドルで、二人が結婚した時世間は驚いたものです。秀美ちゃんはそのまま芸能界を引退し、メディアに出てくることは滅多にありませんが、長男・翔と長女・玲美が芸能人になったことで、彼らのSNSやバラエティ番組のVTRでその姿を見られるようになりました。

原田知世 ―1967年生まれ

ブレンディのCMで見せる可愛らしいお母さん(には見えない)役でもおなじみの原田知世。透明感があって年齢を感じさせませんね。尾道三部作でのスクリーンデビューは世間にみずみずしい彼女の魅力を知らしめました。その後もホイチョイプロ作品に連続で出演し、時代のアイコンに。今でも出演作は途切れることなく、2019年に主演した「あなたの番です」はツイッターのトレンド1位を飾る話題作に。

工藤夕貴 ー1971年生まれ

ハリウッドでも活躍している女優・工藤夕貴。最初に挑戦した10代の頃は名もないアジア人の役しか摑み取れず苦労したようです。1989年「ミステリートレイン」への出演により道が開かれ、多数のハリウッド映画に出演。その後映画により時代と地方にあった英語を喋り分けるなど、英語もネイティブレベルで習得しました。現在はその英語力を活かし、英会話番組やスポーツ特番で海外の選手にインタビューするなどでも活躍中です。

浅香唯 ―1969年生まれ

1980年代後半「アイドル四天王」の一人として活躍した浅香唯。移動はヘリコプターで一体何時で自分がどこにいるかもほとんどわからなかったくらい忙しかったと語っています。2004年に「冗談でしょッ!離婚予定日」で昼ドラ主演を果たしてからは、女優として活躍。大河ドラマ「平清盛」やミュージカル「アニー」などどんどんと活躍の場を広げています。現在は作詞作曲も行う音楽活動とタレント、女優活動と活躍中です。

杉浦幸 ―1969年生まれ

雑誌Momocoの読者参加コーナーから人気に火がつき、一躍トップアイドルとなった杉浦幸。女優としても活躍し、「はぐれ刑事純情派」や「必殺仕事人」など藤田まこととの共演でお茶の間の人気者になりました。趣味を活かして麻雀やパチンコなどの分野のアイドルとしても第一人者として活躍。現在は子犬のためのグッズや大人の女性に向けた雑貨などの通販サイトを運営するほか、通販番組や情報番組のレポーターとして活躍中です。

後藤久美子 ―1974年生まれ

国民的美少女が人気絶頂の時にF1界の貴公子と事実婚、フランスに移り住んで芸能界は引退してしまうという、まるでおとぎ話のようなエピソードを持つ後藤久美子。現在はパートナーであるジャン・アレジとの間に生まれた3人の子供と一緒にセレブ生活を満喫しています。家事は一切行わない、世界各地の高級住宅街に住居を複数構え、移動は自家用ジェットとは凡人には本当におとぎ話の中だけの話ですよね。

いとうまい子 ―1964年生まれ

「少女が大人になる時 その細き道」を始め数々の大映ドラマで主演を飾ったいとうまい子。儚げな少女がいばらの道を歩むというコテコテのストーリーは時代を写した鏡といっても良いかもしれませんね。もともとコンピューターサイエンスなどに興味があったようですが、40歳をすぎて大学に入学、現在では老化学、ロボット工学の研究者としての知名度の方が高いです。

荻野目洋子 ―1968年生まれ

姉・荻野目慶子の背中をおって芸能界入りした荻野目洋子。’幼い頃から芸能活動を行なっているだけあって、活動内容は子役、キッズアイドル、声優、女優、アイドル歌手、アーティストと多岐に渡っています。アイドル歌手時代は卓越した歌唱力でユーロビートを歌いこなし一躍トップスターに。現在はシンガーソングライターとしてライブ活動を続けています。

岡田有希子 ―1967年生まれ

18歳という若さでのあまりにも突然の死からもう35年も経つのに、未だに多くの人の心の中で生きている永遠のアイドル・岡田有希子。アイドルに興味がなかった人も、彼女の「くちびるネットワーク」や、それがCMソングとなった口紅のポスターを覚えている人も多いのではないでしょうか?今でも月命日や毎年の命日には国内だけなく海外からもお参りに訪れるファンの姿が絶えません。

藍田美豊 ―1969年生まれ

日本のみならず東南アジアでも大人気だったガールズグループ「少女隊」。韓国を始め台湾、タイ、シンガポールなどでもツアーを成功させました。その中でもミホは大人っぽさを兼ね備えた美しさや尖った髪型をしたりまるでモデルのような雰囲気で男女を問わず人気がありました。少女隊解散後は女優、モデルとして活躍。結婚して引退してしまいましたが、現在娘・入夏もモデルとして活動しているのは母親のDNAのおかげでしょうね。

安原麗子 ―1969年生まれ

少女隊のセンターを務めていたレーコこと安原麗子。1989年の少女隊解散後は女優、声優として活躍しています。特に声優として、多くのアニメや映画の日本語吹き替えに出演中。中国のドラマ「後宮」シリーズでは則天武后、アメリカのコメディードラマシリーズ「アリーmy love」ではケイシーを長年演じており、安定した演技力には定評がありますね。結婚し、一児の母となった現在はお仕事をセーブ中のようです。

市川三恵子 ―1969年生まれ

デビューからアメリカでのレコーディング、プロモビデオ撮影など事務所の勢力をあげて活動していた少女隊。「祈って召しませ」のキャッチコピーを覚えている方も多いのでは?しかしチーコはデビューからわずか一年足らずで椎間板ヘルニアのため活動から身を引くことになってしまいました。現在は結婚し夫婦で美容室を経営中。1999年、2016年の少女隊再結成の際は彼女もコンサートに参加し、往年のファンを喜ばせました。

引田智子 ―1972年生まれ

チーコの抜けた穴に抜擢されて、少女隊の一因になった引田智子。引田天功の娘ということでも大きくメディアに取り上げられました。加入した時は若干13歳ということでファンはもちろん、芸能人たちにも可愛がられていましたね。少女隊解散後はタレント、声優として活躍。人気アニメ「こどものおもちゃ」ではバビット役を演じ、子供達の人気者になりました。現在は医師の夫と結婚、化粧品販売会社を経営しています。

久留龍子 ―1964年生まれ

お笑いアイドルグループ「ちゃいるず」の一因だった久留龍子。バラエティ番組やコント番組で活躍しました。当時は小劇団ブームで、演技もできてお笑いもできる彼女は色々な劇団での客演や、多数あったコント番組で重宝されていましたね。トリオ解散後は地元九州でローカルタレントとして数々の情報番組などでレポーターとして活躍しています。

茂原裕子 ―1967年生まれ

「3人揃ってチャイルズです♪」という掛け声でおなじみのお笑いトリオの一員・茂原裕子。3人とも小柄で子供のようだという理由で名付けられたグループ名ですが、彼女は不二家のペコちゃんの物真似で人気がありました。バラエティ番組やコント番組で活躍しましたが、1992年に解散。解散後は舞台を中心に活動していましたが、現在は芸能界を引退しています。

島崎和歌子 ―1973年生まれ

「なぜか結婚できない美人タレント」ランキングではダントツトップに名前が上がる島崎和歌子。アイドル冬の時代にデビューしましたが、頭の回転の良さで19歳にして大型特番のアシスタントに起用されるとそこからはMCとして主に活躍しています。結婚していないことを揶揄されたり、「ババア」と蔑まされることもあるけれど、持ち前の豪快さと綺麗な顔で悲壮感を漂わせない稀有なキャラクターです。

宮崎美子 ―1958年生まれ

優しい口調と穏やかな雰囲気で人気の女・宮崎美子。先日デビュー40周年を記念したカレンダーが社会現象にもなっている「鬼滅の刃」のカレンダーを抑え、売り上げ一位になったことが話題になりました。61歳とは思えぬビキニ姿はデビュー当時の溌剌とした美しさを思わせ、驚いた方も多いのではないでしょうか?クイズ番組でその姿を見ることが多い彼女ですが、2021年には映画「太陽は動かない」に出演します。

堀江しのぶ ―1965年生まれ

アイドルブームが去った1980年代後半からのグラビアアイドルブームの先駆けであった堀江しのぶ。彼女が所属していたイエローキャブも最初は彼女しか所属していませんでしたが、その後は彼女に憧れたグラビアアイドルが大勢所属するようになり、一躍大手芸能事務所になりました。1988年、まだまだ仕事をしたいという願いも虚しくスキルス性胃癌により、急逝しました。

 

かとうれいこ ―1969年生まれ

堀江しのぶに憧れ、イエローキャブでグラビアアイドルとして活躍したかとうれいこ。彼女の登場により「巨乳」という言葉が新しく生まれました。ダンロップオープンにも優勝したことのあるプロゴルファー・横尾要と結婚し、一時を出産。近年はラジオのパーソナリティやバラエティ番組で活躍中。童顔でグラマラスだけれど、いやらしく感じさせない上品さは今も健在です。

西村知美 ―1970年生まれ

どこかとぼけた雰囲気で人気の西村知美。可愛らしいけれど決してあざとくはなく、一生懸命さが伝わってきますね。友達の誕生日を企画したのに主役を招待するのを忘れたり、子供の服と犬の服を間違って買ってきたりと、面白いエピソードはたくさん!その真面目な一面は、いつタレントとしてやっていけなくなってもいいようにと30種類以上の資格を取得していることからも伺えます。

中村由真 ―1970年生まれ

ヤンジャン主催のオーディションに合格してアイドルになった中村由真。男子学生から人気に火がつきましたが、「リリアンの由真」としてドラマに出ると知名度は一気に全国区、年代を超えた人気者になりました。現在は弁護士と再婚、アメリカで子供二人と共に家族で暮らしています。ユニット・風間三姉妹のみの活動で、イベントのたびに帰国して見せる笑顔は現役アイドル時代と変わりませんね。

酒井法子 ―1971年生まれ

歌手、女優として幅広く活動する酒井法子。「最後の大物アイドル」とも呼ばれていますね。純情派アイドル時代はいち早くタレントグッズを売り出し、自身のショップ「NORI-P HOUSE」は原宿でも大行列の店舗でした。現在日本での露出は減っていますが、中国圏では様々なイベントに登場し国民的人気といってもいいほどの人気を誇っています。

立花理佐 ―1971年生まれ

ポスト中山美穂として売り出されたアイドル立花理佐。レコード大賞新人賞を受賞し、ゲームキャラクターにも採用されるなど順調な活動を続けていましたが、レコード会社と所属事務所のトラブルに巻き込まれ、芸能人として活動できなくなってしまった時期もありました。現在はお蕎麦やさんを経営するご主人と結婚、16歳の男の子のお母さんでもあります。ハワイ好きママタレとして、バラエティ番組で活躍中です。

石田ひかり ―1972年生まれ

尾道三部作である「ふたり」の主演で国民的女優となった石田ひかり。「艦真号物語」では得意の中国語も披露しました。映画、ドラマで女優として活躍する中、NHK「紅白歌合戦」や「日本の芸能」で司会を務めるなど幅広く活動。育児優先でしたが、2020年には人気ドラマ「極主夫道」を含め5本のドラマに出演。NHKの映像ディレクターとの夫との間に生まれた子供達も大きくなり、ますます女優としての活躍が期待されます。

森高千里 ―1969年生まれ

今でも20代と変わらぬミニスカート姿でライブを行い、「50代には見えない若々しい芸能人」1位にも選ばれる森高千里。セルフプロデュースを行うアイドルの先駆けで、アイドルといえばキラキラしたラブソングを歌うものという時代に、身近な言葉で自身の心を歌った歌詞は女の子たちの共感を呼びました。夫・江口洋介との結婚し授かった2児も大きくなり、現在は全国ライブツアーの真っ最中です。

鈴木早智子 ―1969年生まれ

女優、タレントとして活動するさっちんこと鈴木早智子。やはり彼女の原点は歌手ですね。歌が大好きでたまらないというのは、彼女の言動や趣味で歌うカラオケのレパートリーが2000曲以上ということからもわかります。「心霊呪殺 死返し編」では20代の出演者に混じり教師役を熱演。大人の魅力たっぷりの彼女ですが、そろそろ活動休止中のWinkでも歌声を聞かせて欲しいですね。

相田翔子 ―1970年生まれ

元Winkの相田翔子。現在は歌手、女優として活躍するほか、人気バラエティ番組のレギュラーや司会を務めるなど幅広く活動しています。老舗着物メーカーのイメージキャラクターに就任し、シーズンごとの新しい着物を着る姿は可愛らしい中にも素敵な大人の魅力が満載で憧れますね。2021年には人気漫画の実写映画版「ライアーxライアー」に出演。現役時代のアイドル時代となんら変わりのない笑顔に癒されます。

田中律子 ―1971年生まれ

関する著書も多く、アウトドア好きでも有名な田中律子。1990年代は「愛しあってるかい!」をはじめトレンディドラマに多く出演し、その後は情報・バラエティ番組の司会で活躍しました。現在は単身移り住んだ沖縄で、SUPヨガインストラクターをしながら産後の保護活動を行なっています。時折テレビで見かける姿は、今年50歳になるとは思えないほど、往年のアイドル時代のままですね!

田村英里子 ―1973年生まれ

ハリウッドで活躍する田村英里子。アイドル時代から美人でしたが一段とゴージャスな美しさに磨きがかかりましたね。彼女を主人公としたアニメ「アイドル伝説 えり子」は日本のみならず、世界中で放送されていたため、ヨーロッパや中近東でも彼女の知名度はあり現在の国際的人気に一役を買っています。なかなか日本のメディアに登場することはありませんが、また銀幕で姿を見れるのを楽しみに待ちましょう。

宮前真樹 ―1973年生まれ

乙女塾の一期生として芸能界入りし、CoCoの一員としてアイドルデビューした宮前真樹。現在は料理研究家として活躍中。19歳の時の彼氏が忘れられないと長年独身でしたが、2018年に彼女の写真を撮り続けていたカメラマンの萩庭桂太と結婚したことで話題になりました。レシピ本の出版やレストランのプロデュースの他、最近では犬の管理栄養士、ペット食育士として飼い主とペットが一緒に食べれる料理を紹介しています。

羽田恵理香 ―1973年生まれ

国立大学の付属小・中・高校を卒業した異色の才女アイドル・羽田恵理香。CoCo解散後は体を張った企画でバラエティ番組を中心に活躍。海外で無体を働いた人たち相手ですが、いきなりスリッパで「天誅!」と殴るという今では考えられない企画でしたがタレントとしての知名度をあげました。現在は舞台女優として活躍中。ミステリーナイトシリーズは2006年から出演を続けています。

大野幹代 ―1974年生まれ

芸能人育成講座「乙女塾」一期生から誕生したアイドルグループCoCo。アイドル冬の時代と呼ばれた90年代でしたが、CoCoのは孤軍奮闘しており、大野幹代はグループ最年少として人気がありました。CoCo解散後はバンド活動をしていましたが、結婚を機に引退。今は一男のママになっています。引退後は一切メディアに出てはいませんが、CoCo同窓会としてメンバーのSNSに登場しています。

三浦理恵子 ―1973年生まれ

魅惑のキャットボイスとして知られた元Cocoの絶対的エース・三浦理恵子。アイドルとしての活躍より女優としての活躍の方が皆さんもご存知かもしれませんね。当時を知っている人たちにはアイドルとしての栄華を語らないところも好感が持てると評判です。可愛らしい顔立ちですが、ドラマ「屋根裏の恋人」では親友である主人公の夫と8年も不貞を続ける悪女を熱演するなど、演技の幅を広げています。